政経リポート平成16年4月5日号掲載分 秀吉・家康の時代、後藤・茶屋とともに「京の三長者」といわれた角倉(すみのくら)了以は、慶長一一年(一六〇六年)に大堰川(保津峡)の開削の難工事を成功させた。この開削により丹波から嵯峨まで船がはじめて通じる…
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