平成16年

角倉了以と京の都市改造

《角倉了以家》 角倉(すみのくら)了以家は代々医術をもって家業としていたが、了以の代になり代々蓄えられた資金を活用し、海外貿易と国内の下線開疏の水利事業を手掛けて巨万の富を築き、徳川時代には後藤・茶屋の二家とともに「京の三長者」と呼ばれる豪…

甲賀流忍者が結ぶ信州・滋賀と京都

【信州の甲賀流忍者】 甲賀(こうか)流忍術のルーツは長野県北佐久郡望月町(まち)である。平成一三年九月号の同町の広報誌『駒の里』に著者は次の文を寄稿している。 「私の母、望月ちゑは望月本實(ほんじつ)家第十二代目の次女として、明治三三年に滋…

中世・庶民のまち京都

政経リポート平成16年4月25日号掲載分 <右京の荒廃>「予(われ)二十余年以来、東西の二京を歴(あまね)く見るに、西京(にしきょう)は人家漸く稀にして、殆(ほとほと)に幽墟に幾(ちか)し。人は去ること有りて来ることなく、屋(いえ)は壊(やぶ)…

四百年後の京都

政経リポート平成16年4月15日号掲載分 (衝撃の出会い) 昭和末期の昭和六〇年代のある日、旧制高校の先輩で特に交際が深かった河野卓男(故)ムーンバット株式会社社長(当時)から突然次のような質問を受けた。 「望月君、君は京都市を退職した後、京都市・…

保津峡秘話

政経リポート平成16年4月5日号掲載分 秀吉・家康の時代、後藤・茶屋とともに「京の三長者」といわれた角倉(すみのくら)了以は、慶長一一年(一六〇六年)に大堰川(保津峡)の開削の難工事を成功させた。この開削により丹波から嵯峨まで船がはじめて通じる…

桓武天皇の母の陵墓

政経リポート平成16年3月25日号掲載分 西京区御陵塚ノ越町に、国道九号線(五条通)が樫原街道を西へ過ぎた東側に「天皇ノ杜(もり)」古墳が現存している。前方後円墳で大正一一年三月八日に史蹟に指定されている。天皇と名付けられているが天皇名は不明で…

エルサレムと京都

政経リポート平成16年3月15日号掲載分 《奇跡の国》 「二〇〇〇年の過去を通じて、ユダヤ民族ほど、大きな変遷をへてきた民族があるだろうか。しかもこれほどつねに、人間最大の災厄の中から、ふたたびもとの姿でたちあらわれた民族があるだろうか。」こう書…

畿内大地震元号説

政経リポート平成16年3月5日号掲載分 「文政十三年七月二日、つまり今より約一七〇年前、今の暦なら八月一九日という夏の盛りの午後四時頃、京都を中心として地震が起こった。宇佐美龍夫によるところの規模は(マグニチュード)六・四であった。然しかなりの…

京都の超高層塔

政経リポート平成16年2月25日号掲載分 2000年(平成12年)1月5日、京都商工会議所の稲盛和夫会頭は京都経済四団体新春年賀交歓会のあいさつで、京都の新たな観光名所として、世界有数の80メートルの高さの木造で「平和の大塔」建設に取り組む構想を…

JR京都駅改革小史

政経リポート平成16年2月15日号掲載分昭和25年4月、筆者は京都市役所土木局営繕課へ建築技師として就職した。就職した年は市内の木造建消防署の車庫だけを鉄筋コンクリート造に改築する仕事が多かった。 昭和25年11月17日の夜、下京消防署(JR京都駅の北側の…